4月2日の日記

2006年4月2日
熱いコーヒーと、薄く香ばしく焼かれたパンケーキと、塩辛いソーセージが食べたい

今、ものすごく食べたい

せっかくの休日だし、会社にいくのはやめにして
英会話学校の予約を入れようと思ったが、すでに全てのレッスンは埋まっていて、私のやる気は行き場をなくして、くすぶっている

こんな時は、パワーミールが食べたい

小麦粉と卵と肉と牛乳

塩とケチャップとメープルシロップ

美味しくて、元気が出る

ソーセージで口の中を少し火傷してしまい、私は少し元気をなくすだろう

それも、期待のうち

今でかけましょう、日曜日、雨が降りそうなこの町で
じゅうじゅうと焼かれサーブされるパワーミールを探しに
ゆるりとした夜、私の前に座ったその人は「こいつ本結構読むねん」と私の友人に紹介されていた

  どんな本が好き?

私はさっきまでの社交上の会話を切り上げ、
身を乗り出して彼にたずねる

  日本の小説はほとんど読まないんだ

ここで少しだけがっかり、

  そうだなぁ、推理、サスペンス…

ここで私の興味は完全に減退してしまう

  …といった分野は読まず、まったく純文学のみです

失いかけた興味が一気に盛り返す

  例えばどんな人?

彼は聞いたことの無いアメリカの小説家を何人か挙げた

  それはどういうところが気に入って?

私は興味深々でたずねる

  ストーリーというよりも、この一文、この感性、という凄く  局所的な部分が気に入ってしまうタイプなんだ

これは、もしかするともしかするかもしれない

  日本人だと、村上春樹と三島由紀夫が好きかな

そうそう、その調子

  私も村上春樹はとても好き

今度は彼が尋ねる
  
  どの作品が一番好き?

  「納屋をやく」かなぁ、あ、「パン屋再襲撃」かもしれない
  
  いずれにしても短編が好きなんだね?

何か、大事な作品を忘れている、違う違う、一番すきなのは

  「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」!

Bingo!彼は嬉しそうに手を差し出し、私たちは固く握手した

  やっぱり?俺もあれが最高だと思う。

私もこれ以上無いくらいの幸せを感じながら、うなづく
  
あんなパーフェクトワールド見たこと無い
私の最も愛する小説のひとつ
きっと「ノルウェイの森」のように、学校の教科書に載ることはないだろうが、私はやはりこの小説が最も好き
でも、村上春樹の小説で何が一番好きかとたずねて、この小説の名前が出てくることはほとんど無い
だから今晩は最高の気分

しばし、小説の話に盛り上がる私達を、後輩が不思議そうに眺めている

  小説ってそんなに面白いですか?
  
それは、もう。少なくとも私にとっては、人生から小説を奪われたら、きっとあっという間に縮んで消えてしまうだろう、というくらいに。

南風、吹く

2006年3月25日
ちょっといいかな。と言われた瞬間、体が硬くなった

無理やりに笑顔を作り、室長の前に座る

しばし、お互いの目を見て沈黙

きっと私は泣きそうな顔をしていたと思うし
そんな私を前にしてか、室長も何故か泣き笑いのような顔をしていた

仕事が追いついていないことは重々承知していた

追いつこうと思っても、自分の能力の限界は簡単には超えられない

期日だけが私の横で、まるで伴走者のようにぴったりと張付いて
振り切っても振り切っても、また翌朝には平気な顔して戻ってくる

その件で呼ばれたのだと思った

できない仕事を抱えるのは罪、それは分かっていたけれど
本当にできないのか、まだ自分でも見切りをつけられずにいた

「どう?つらい?」

どうしてこの人の声は、こんなに穏やかなんだろう
私は彼の声を聞くたびに、青い穏やかな海を思い出す
さんご礁の浅瀬の薄いブルーの海ではなく、
深く、静かに波打つ沖のそのまた沖のほう

ゆっくりと、波は私の心にも寄せてきて、
恥ずかしさと悔しさで熱くなっている部分をゆっくりと冷やしていく

仕事が遅れていて皆に迷惑をかけているのを承知の上で、もう少しだけ様子を見守ってもらえませんか、まだ自分でもどこまで出来て、どこから出来ないのか、わかっていないので、
わかるまでは手放したくないのです

ありえないようなわがままを正直に伝えてみたら
彼はちょっと微笑んで、仕事は面白いか?と尋ねてきた

それは勿論。

そう、それなら良い。仕事はね、面白くなかったらだめなんだ。だから、つらい、きつい、そんな気持ちを抱えてすることはないんだ。だけど、面白いというのなら、君の言うとおりもう少し様子をみることにするよ。

いつもの声で、室長は言う

私はその声を、彼のむこうに広がる海を眺めながら聞いている

深い穏やかな海、ひたひたと波打つ海面
その上を、今、南風が吹いたような気がした

生存確認

2006年3月24日
大好きな友人が、すこし仕事の峠を越えたようで
すっきりした気持ちの良い日記を書いていた

春風のような、涼しくてでもあたたかくなる予感感じさせる言葉達

お祝いの小さなメッセージを送り、私も嬉しくなる

彼女からの返事には、こうあった

「文章を書くことにすがらなくなるよね」

その通り、
何かに堪えられない夜ほど私は目に見える言葉を探してしまう

幸せな夜は、紙に残さなくても、きっと空気に溶けていく言葉を眺めているだけで、十分に満たされるのに

紙に残す、この気持ちは、溶けて見えなくなるのが怖いから

自分がきちんと存在しているものなのか、
せめて思いを書いて文字にしてみないと、上手に確認できない

不具合な自己

2006年3月22日
疲れた疲れた疲れた、と気持ち悪くなるくらい連発していたら、
まるでその声が聞こえたかのように、メールが入った

さっきまで一緒に食事をしていた女友達から、
頑張りなさい、疲れたらいつでも連絡しなさいとのメッセージ

大丈夫かも、頑張れるかも、といいなおしてみる

数分前よりお腹に力が入るようになった

不具合な自分を抱えて歩くのは、結構重たいけれど
足腰鍛えるにはちょうど良いかもしれない

ありがたい事に、環境は私を助けてくれるし、
もうちょっとこの身体抱えて歩いてみれば、
丘の上から新しい景色も見えてくるんだろう

川 流れる 

2006年3月19日
いつものようにテレビをつけて、メイクを落とす

邦楽のランキングが流れている

聞いたことあるメロディ
聞いたことある名前

言われれば「あぁそういえば」と思い出せるけれど
「ねぇ、知ってる」と積極的に話すこともなく

日々の会話から剥がれ落ちていく

それでは一体、
私は何を見て、何を感じて過ごしているのだろう

日常のニュースを話題にするのは、
おそらく同じ時間を生きていることの確認

逃げ出した私は、どこに、何を求めて、どこまで、行こう

川は意思無く流れるように、私も流れてしまうのかもしれない

旅に出たい、大きな空に吸い込まれるように

ナスカの地上絵のように、きっと陸に居ては見づらくなっている日常を

鳥の目になって、確かめて、そしてもう一度大地を踏みしめる喜びを

どこでもドア

2006年2月20日
私たちの手にいつも握られているのは、どこでもドアのノブ

念じて、捻って、押して開けば、ほら、見たかった景色が広がる

学生時代散々な旅を共にした友人と、今あらためて当時を語る時、

御鮨屋さんのカウンターで、部長が日本酒を片手にビジョンを語る時、

一人で環七の歩道を走るとき、

其々に広がる風景。

確かに私はその時、その場でどこでもドアを開いて
かつて見た景色を、まだ届かぬ夢を、この道の向こうを、見ている

明日目がさめて、おはようと口にして、
次はわたし、何を見ているだろう、何を見にいくのだろう
久し振りに皇居の周りを走ろうと思い立った

雪も溶けたし、
日曜に傷めた筋もなんとなく平気そう

竹橋から走り始めて、ちょうど三分の一くらい過ぎると
それまで視界をさえぎっていた皇居の緑が遠くなり
急に斯界がひらける場所がある

なだらかに、けれどとても広くて深いお堀へ落ちていく芝生

お堀に囲まれて、陸の孤島のような皇居

その後ろに輝く大手町のオフィスビル郡

わたしは走ってこのまま東京タワーへ、銀座へ、会社へいけるけれど

お堀の中で、雅子さんは何を思っているだろう

外を知っている彼女は、深いお堀に囲まれた静かなお城で

同じように月を見上げているかもしれない

皇居の横を走りながらおもったことは

雅子さん、苦しいだろうなぁということだけ

実は走りながら、わたしはわたしで仕事のことを考えてナーバスになっていた

だけど、お堀のむこうの彼女のことを思ったら、そっちのほうがもっと辛くて悲しくてどうしようもなくなってしまった

まだ小さい、小さい自分の娘のことでたくさんの人が何かを言っている

おかあさんとしてどれだけ苦しんでいるだろう

深いお堀、飛び越えて出てきてしまえば、と思いながら走る

伝統も、しきたりも、人間が作ったものだからこそ、
こだわることに意味がある(こだわらなくなったら、他に誰がこだわってくれる?こだわることこそが、人が人である最後の砦かもしれないのに?)

わかっているけれど、やっぱり、命に色はつけたくない
あたりやはずれは、命の議論でしたくない

ね、雅子さん。

アイコク 神社

2006年2月6日
一昨日、高校の友人とバレエを観にいった帰りに
もう一人友人を交えて、3人で食事へ行った

愛宕山にある、小さな和食屋さんで
食材のすべてを東京産のものだけで賄うので、店名も「T」という

後から合流する友人が少し遅れるとのことで
先にお店へ行ってビールを一杯飲んで待っていた

よく考えてみると、3週間ぶりに会う
しかも、3週間前にはじめて出会った人だから
まだ顔を合わすのは2回目なんだなと、少し緊張しながら待った

現れた彼は私の想像力が乏しいのか、リアルなのか
3週間前に見たのと同じ声で同じ表情の人だった

あぁ、無意識に美化していなくて良かった、とひっそり思った

着いて早々、「愛宕とは何て読めばいいの?」と聞かれたので
「逆に何て読むの?」と聞いたら、「アイコク」と答えられてびっくりした

とっても頭の良い人なのに、漢字には弱いらしく
その後も、メニューの漢字で珍しいものがあると「なんて読むのかな」とつぶやいていた

私は彼の隣に座りながら、親戚のお兄ちゃんと飲んでるみたいだな、と勝手にくつろいでいた
だけど良く考えたら、私の親戚にはお兄ちゃんにあたる人などいないので、
こんな人が親戚のお兄ちゃんだったらいいのにな、という願望だったのかもしれない

頭が良くて、静かで、たまに危うそうな素振りをする

床に置きっぱなしにしていたハンドバッグが、床暖房のおかげであったかくなっていて
「猫みたいにあったかいよ」と手渡したら
「本当だ」と言って、本当の猫を抱くように真剣な顔でバッグを抱えていた

この人は、時々びっくりするほどまっすぐに抱く

人でも物でも、まっすぐ見て、まっすぐ手を伸ばして、
そこに命があることを確認でもしているように、真剣に抱く

何かを用意するときも、慎重に手元を確認する

私がそんな彼に「まるで研究室で実験しているみたいね」と言ったら、困った顔をして「そんなこと言わないでよ」と返された

私は結構、その表情やしぐさが好きなんだけど、
とは言えず

心の中のつぶやき科白

道を辿る

2006年1月23日
昨晩のうちに雪はすっかり止み、今朝はハワイも勝てないくらいの蒼い空、
そして足元には軽やかに崩れる白い雪。

ただ、今日という日の空気の中に存在するだけで
こんなにも幸せな気持ちにしてくれる、素晴らしい天気。

今日は祖母の三十三回忌。
久しく親戚の集まりに顔をだしていなかった私だけれど
さすがに姉が嫁いでしまった今となっては、出るのが筋だろうと思いお寺へ足を運んだ。

子供の頃、掃除に来る母に連れられて、よく来ていた懐かしい墓地は
今も昔も変わらぬまま。
変わったのは、生身の身体を抱えている私達だけ。
墓石の横で、来てくれた親戚に頭を下げる父を遠めで見て、あぁ痩せたな、と思った。
母も相変わらず丸い体をしているけれど、数年前から足が少し悪くなり
痛くなる部分をかばうように歩くので、知らない人から見ると大分おばあちゃんに見えるだろう。

夏になると、お店の売り物のアイスクリームを袋いっぱいに持ってきてくれた「煙草屋のおじさん」も、随分と耳が遠くなった。

私が一度も見ぬまま、この世から消えてしまったお祖母ちゃんの話を
ついこの間の出来事のように語る人達。

父の子供時代、お祖母ちゃんのお漬物、焼け野原の銀座。

私の知らない時代、人、景色。

ちっとも会話に入れないけれど、不思議と心地よい。

それはきっと、全てが自分に繋がる道だから。

見たことない過去の世界だけれど、それらは確実に私の血に流れているから。

ずっとずっと遡る道。
私が空気を吸い、眠い目をこするこの現在までつづく道。
さてと、どこ行くか?

東京タワー。

ありえねぇ、何で女って高くて光ってるモン見たがるわけ?

結局、同期は首都高に乗り、時速100キロでも怖がる私を横に乗せて東京タワーを通過し、レインボーブリッジを超え、大黒ふ頭で一休みして横浜まで連れて行ってくれた。

港の見える丘公園には行ったことあるか?と聞かれて
本当は昔デートで来た場所だったけど、「知らない」と行って連れて行ってもらった。

夜景を観ながら、じゃれあうカップル達を脇目に
「下心を抱えた男達がうようよしている!」と大声で笑いながら歩く私たちは、きっと最低だっただろう。

びっくりする程口が悪くて、傍から見たら
下劣な人間に見えるかもしれない。

でも、彼はただ目の前の現実を真っ直ぐに捉えたいだけ。
同じ年に入社した彼は、私達の色んな遍歴を見た後に
「みんな、結構丸くなっちゃったよな」とつぶやいた。
それが良いことでも、悪いことでもなく、ただ事実の記述であることに
私は改めて、彼の大らかさを感じたりする。

あったかい子だと、いつも思う。

彼と出会えたことは私にとって本当に大きな出来事。
これから数年、インドに行ってしまうことになり、
わたしは心細くてたまらない。

早く戻ってきて!と言ったら、
お、それまで生きてたらな、と高速道路の前方捉えたまま、いつも通りの返事。

大丈夫、きっと貴方は戻ってくるし、
私は結婚もせずに同じように働いているだろうから、
3年後もまたこうやってたまには遊ぼう。

日記

2006年1月6日
1月1日
31日は夜10時過ぎまで大掃除に追われていた。
ようやく片付け終わり、久しぶりに香川から戻ってきた小学校の同級生の待つ焼鳥屋へ急ぐ。
1年ぶりの顔、顔、顔。同級生は香川から島根へ転勤したらしい。
気付いたら12時を5分まわっていて、皆で慌てて焼酎のコップを掲げて「あけましておめでとう」と言い合う。
穏やかでゆるりとした年明け。

1月2日
1日の夜から大学の友人達と新年のお祝い。
気付いたら2日の3時をとっくにまわっていて、慌てて自転車で阿佐ヶ谷から家へと向かう。
そのまま、布団にもぐり昼まで寝てしまった。
夕方、また自転車へ乗り新宿へ。
世界堂で額縁を買い、大学の頃に一緒にイベントをやった仲間達の待つ店へと向かう。
頭を使うことが大好きな人たちで、話していて本当に楽しい。

1月3日
昼過ぎから母親とオペラシティへ。
ウィーナーワルツのニューイヤーコンサート。
ヨハンシュトラウスの軽やかな旋律は新しい1年の始まりによく似合う。
「私、指揮者のサインをもらうわ!」と意気込む母親を見て
かわいらしい人だなぁと思う。

今年も、どうぞ皆が幸せに過ごすことが出来ますように。
新年の日記に記す。

続 好きな人

2005年12月30日
どうしてこんなに好きでたまらないんだろう

結局、誰にときめいても、誰と過ごしても
戻ってきてしまうのは、同じ面影

きっと世の中には素晴らしい人が沢山いるのに
盲目の私はちっとも気付けない

日光写真のように焼きついてしまった

そして私の目はそれを見たきり、眩しい太陽に潰されてしまったに違いない

子供の頃に読んだ日本の昔話で、
目の見えないお婆さんが間違ってお味噌のかたまりをほおばってしまって、
あまりの塩辛さにびっくりしたら目が開いた、というお話があった

私も、ショック療法が必要かしら

FULL METAL JACKET

2005年11月20日
誰かに聞いてわかるものではないのだろう、多分

誰かに聞こうとは思わないけれど、ふとしたときに少しずつ知っていけたら良いと思う
戦争の意味

Born to killと書かれたヘルメット
本当だろうか、わたしにはKill to liveと映った

まだうまくわからない

2月6日の日記

2005年11月19日
電話口で泣く私に、彼はいつもどおりの優しい声で言う

こんな風に電話をかけてきてはいけないよ
だって別れたばかりなんだから

私はその意味がよくわからないまま(別れたばかりは電話かけてはいけないものなのか)と思いつつ、オウムのように、ごめんなさい、としゃくりあげる

大丈夫、きっと仕事が忙しくて、すぐに忘れられるよ
彼なりの慰めなのか、とにかく電話を切りたかったのか
(後日、友人には「その男はお前のこともうぜんぜん好きじゃないんだろうな」と言われた。おそらくその通り)

きっと夜は明けないんだろうと思っていた
毎日泣きすぎて、ふと鏡を見たら、涙の通り道にほくろが出来ていて
これじゃぁ正真正銘のなきぼくろだなぁ、と鏡の中の自分に苦笑いした

やさしい友人達は、いっぱい泣いてすっきりしたらいいよ、と
沢山の歌を歌ってくれたり
私の大好きなピザに付き合ってくれたり
真夜中の電話で、本当にどうしたいのかを見失ってはいけないよと進言してくれたりした

恋が始まるときも、終わるときも
わたしはいつも友人達に支えてもらっている

後ろを振り返っても、遠く前に目を凝らしても
いつも、いつも、居てくれる大切なひとたち

ありがとう

美味しい日記

2005年10月23日
美味しい日記を書こうと思います

ここではない、別の場所で

ここは、私の心をゆらりとさせて書く場所だから

美味しい思い出だけを集めた場所をつくって
同じ時間を共有した仲間にそれを伝えたいの

今日、大好きな友人と、懐かしい思い出を話していて
そう思いました

思い出に救われている、かわいそうで、でも幸せな私たち
コンパスのとがったほうが、ずっぷりはまって抜けないのである

一生懸命もう片方の足を伸ばしても、限界を感じてぐったりする

日常に不満があるのではない

ただ、ちょっとだけでいいから、このコンパスを外して
誰にもどこにも属さない世界に行かせてほしいだけ

パスポートに守られていながら、「どこにも属さない世界」なんて
なんて気のいい勘違い
だけど、気の小さい私にはちょうどいい具合

パスポートが通用する範囲でかまわない
この小さな東京から、少しだけでいいから私を解放して

どこでもかまわない
海でも山でも街でも砂漠でも

夜通し飲み、タクシーで帰って昼まで眠る
ダヴィンチコードの話に興味津々のふりをしてうなづき、
大好きな花柄のスカートは、彼の好みではないだろうから休日ははかない

どこだっていいの
読みたくなる本を頂戴
好きな服を着て、保守的な彼は日本に置いて
わたしはわたしの好きなように笑って食べて眠りたいだけ

動物園

2005年8月22日
ひさしぶりの上野動物園

パンダを観よう、と盛り上がって行ったのに
メキシコ生まれの人気者は大きな背中を向けたまま、微動すらしない

象のアティは炎天下で不機嫌に藁を飛ばしているし
元気なのは、冷蔵室に入ったペンギンくらい

彼に良く似たキリンを観にいこうと提案したけれど
檻の動物達よりもぐったりした隣人を見て、口を閉ざした

暑い暑い動物園

毒々しい緑色の氷メロンを掬って彼の口に押し込みながら、
それでもこの倦怠感は嫌いじゃない、と思った

暑い暑いと言いながら、延々と遊ぶのが好き

どうしようもなければないほど、楽しくなってくる

夏休みの神様は、度量が大きくて
大ばか者達をどんとまとめて受け入れてくれるから

ねぇ、人生がそっくり夏休みだったら
どんなに気持ちよいだろう?

延長腺

2005年7月31日
どうしようもなく仕事ばかりが続いたときに
母親は呆れ顔で私に言った

仕事やめたい、って思わないの
プライベートを犠牲にしてまで、仕事をしたいなんて
思わないわよ、私なら

背中越しの声を聞きながら、それも一案だと思った
でも、私には仕事を支えてくれるありがたい環境がある

もう終わらないかもしれない、と泣きたくなった時
夜中の2時に電話越に話を聞いてくれたあの人

同じ方向を見据えた同期

あとちょっとの辛抱だから、と励ましてくれた先輩達

私はちっとも優れた人間じゃないし
上司には「かめちゃん」と呼ばれる程仕事が遅いけれど
それでもなんとかやってこれたのは
一重に環境のおかげなんだと思っている

私の天性があるとすれば、それは「環境に恵まれること」

いつも誰かが支えてくれ、励ましてくれ、笑わせてくれる

そんな環境があるからこそ、毎日ちょっとずつでも成長して
恩返しをしていきたい、と素直に思える

小さい頃は、地球を救える人になりたいと真剣に思っていた

今は、周りに恩返しするのも精一杯な自分がいて
自分の小ささに驚いている

10歳の自分が見たら、がっかりするだろうか

「平凡!」といって、怒るだろうか

平凡でもいいのよ、と私が10歳の私に言ったところで
きっと彼女は「つまらない大人!」と言って悔し泣きをするだろう

あの頃の私は、今も心の中にいて、
すべてが変化したわけじゃないのだけれど

これは成長なのか、収縮なのか

もしかすると、答えはずっと先、
私がこの世からいなくなる直前にようやく見えるのかもしれない

不機嫌

2005年7月4日
なんていうかなぁ、お前の話はいつも綺麗事なんだよ
現実が見えてないって感じ?

言われて、素直に「へぇ」と思った

お前みたいな女の子はね、一度何もないところへ行ってくるといいよ
アフガニスタンとかでね、何もないところに行けば
今の環境のありがたみがわかるだろう

そう言われて、得意げに話す彼らの顔をまじまじと見て
今度は素直に「へぇ」なんて思わずに
私はあんまり納得出来なかった

私は今の日本の豊かさに対して「不満だ」と言った記憶はない
ただ、環境というのは不思議なもので、何かを得れば、更にその次が欲しくなる
それは貧しいとか富んでいるとかは関係なくて
それぞれの生活の中で、ひとつクリアすると次を目指すというのは
おそらく自然な欲求なんだろう、と言ったまでだ

貧しい人は「あぁお金持ちになりたいなぁ」と思うかもしれないし
どこかの社長さんは「あぁ家族で夕食をとる時間がほしい」と思っているかもしれない

私が思うのは、人の悩みはそれぞれで
他人の憶測などあてにならないということなのだ
だから、出来ることといえば、
自分が納得する方向へひたすらに向かっていくことぐらいなんじゃないか?

私たちは日々取捨選択の繰り返しを行っているでしょう?
何かを得れば、何かを失う、その繰り返し
ただ得たいものと、失いたくないものが、人それぞれに違いすぎて
だから私たちは時には上手に譲り合ったり、時には血を流して奪い合ったりすることになる
とくに、形あるものは数に限りがあるから尚更だ

私が耳にしているピアスを指差して、彼は言う
そのシャネルのピアスはどうしたの?
自分で買ったのよ、欲しかったから。と私はうんざりして言う

また、出た、このパターンの議論は退屈

予想通り、彼は勝ち誇ったように言う

ほらね、お前は欲しいものを何でも手に入れられる環境にいて
欲しいものが手に入らない環境があるってことを忘れている

つまらない議論

それじゃ、貴方のそのプラダのお財布はどうなの?
グッチのポーチはなんなの?その高尚な考え方に基づいて
今貴方がそれらを所有している意義を説明してちょうだいよ、
私への訓示とつじつまの合うようにね。
と内心思ったけれど、どうせ彼らの機嫌を損ねるだけだから
黙っていた

それにしてもあんまりにもばかばかしくて、私はついむきになってしまった

私は今の環境には感謝しているし、毎日を幸せだと感じている
私が生きていくために食べている食料で、代わりに誰かが死んでいくのも事実だし、
せめてそのことだけは忘れないように、と毎日思っている
人の屍の上に自分の生がある以上、私が出来る精一杯のことは
生きていられる、というこのチャンスを精一杯生き抜くことだと思っているから。

文句があるなら、面と向かって言ってくれればいい。
お互いが一生懸命に自分の生き方を提示して、
そのぶつかりあったところを着地点としたい、というのが私の人生に対する考え方。

わがままな考え方だと思う
でも、私なりに極地的なポイントに存在する「私」という人間の生き方と、
社会の中の「私」という人間の生き方の帳尻がうまくあわなくなりそう、と悩んだときに出した答えだ。

私の人生、全てを社会的なことに捧げられるほど私は出来た人間じゃない。
欲しいものは欲しいし、欲しくないものは欲しくない。
であれば、せめて仕事という公共的な作業を通して
私は社会に微力ながら還元していこう、と思ったまでなのだ

だから、私は自分の仕事の見返りとして得た給料で
欲しいものを買うことにも、今は罪悪感を感じずにすむ

私は頑固だから、きっとそう簡単にこの考え方を変えないだろう

だけど私は同時に、とても影響を受けやすいから
素晴らしい人、と思った人に怒られたり、諭されたりしたら
驚くほど簡単に納得もしてしまうだろう

ただ、人にお説教する以上は
まずは自分の肩の埃を払ってきてね、と思うだけ

ただ、それだけのこと

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