歪み の 日

2002年11月20日
昨日の夜、長らく貸してたCDがふいに聞きたくなって、
元彼さんにお電話して、受け取ってきた。

帰り道、話しながら
このコ、こんなに影薄かったかな、と
ふと思った。

なんとなく、弱々しい。
気を使っているだけかもしれない。

けれど、その話し方、仕草すべてが
なぜか私をまた、苛立たせた。

部屋に入って、
苛立っている自分が嫌になった。

どうして、もっと、
近くに居る人を支えて上げられないんだろう。

どうして、苛立っちゃうんだろう。

誰かに言いたくて、でもこんなコトで
誰かの時間を取らせるのもイヤで、
アホくさいなぁ。わたし。

非生産的なこと、大嫌いなのに自分まではまってる。

思い通りにならないのが、生き物だけれど。

そんなの、言い訳じゃん。

あーあ。

ウチコト

2002年11月18日
久しぶりに、家にこもる。

VIEWSICを見ながらキッチンの片付け。
久しぶりの作業に、チカラコブが喜んだ。

修理に出していた靴を受け取りに行く。

ホワイトソースを煮込みながら、
サラダは温野菜にしようと思った。

さて、出来たのは
サーモンのグラタン
ジャガイモとブロッコリーのあったかサラダ

満腹の後、姉の書いた資料を読んだ。
姉は今、夏に行ったタイの農村の資料をまとめている。
彼女は本当に、タイが好きだ。
社会人の限られた休みの多くを、タイ行きに使っている。

母親は、いつもあきれた顔で送り出している。

まったく、私が一緒に行けるところにしてよ。
これが彼女の言い分らしい。
これもこれで、どうなんだ?

家族4人とも、とにかく旅が好きで、
朝起きて気が付くと、誰かが旅行に行っていたりする。

ねぇ、パパ居ないんだけど?

パパなら昨日からモンゴルじゃない。

まるで使い古しの冗談のようだけれど。
なんでこんなに家になつかない家族なんだろう。

それとも、帰るところがあるから
安心してでかけてしまうのか。

辺境ばかり行きたがるお父さん。
買い物と建築ばかりみたがるおかーさん。
アジアマニアックスなおねーちゃん。

こんな家族に囲まれて、なんなんだかなぁ。

でも、ゆるやかな幸せ、なんとなく感じる今日この頃。



from TV sHow

2002年11月17日
絶対に見たくないと思っていたバトルロワイヤルを
なぜか借りてしまった。

始まった画像を見て
藤原竜也がでてるのか、と意外だった。

いつもだったら、暗すぎる画像は私を疲れさせるはずが
暗くてよかったと、感じさせられた。

あれ以上明るい画面は、きっと直視できないだろう。
22歳にもなって、意気地のない私。

まるでCGのようだと思った。
人間にしては軽すぎる身のこなし、
蛍光塗料のような血糊。
実写なのに、実写に思えない。

多くの人は、精密すぎるゲーム画像が
子供達からリアリティを奪っていると言う。

この映画は逆を行く。
リアリティのない実写が
リアルすぎるCGを思い出させ、私はぞっとする。

気持ちが悪かった。
最後までゲームみたいな台詞と死に方をしていく級友達も。

そこにあるのは、激しいのに無口な不気味さだけ。

でも、最後に言ったキタノの台詞、
それだけが生きてた。きちんとね。

いいか。
人を嫌いになるなら、それなりの覚悟をしろ。

誰かを嫌うなら、
きっとそれは強い愛情なんだ、と思う。
それくらい思い入れが無ければ、半端な嫌悪は
きっとただ、自分があとで苦しいだけ。

嫌いといわれた人よりも、
言ってしまった人のほうが、はるかに重荷を背負ってる。

だったら、好きになってやれ。



多摩センターの点灯式に、行ってきた。

正直、
西東京でイチバンすごいイルミネーション!!

15メートルのツリー
左右に6、7メートルの電飾ツリー2本
道沿いに3メートルツリー4本
通り沿いの並木&垣根にオール電飾
モールで出来た電飾トナカイがズラリ
その脇には、カラフルな動物の電飾
シメはパルテノン多摩の大階段電飾

とにかく、タマセン降りたら、光の大洪水です。

立川や八王子のように、周りが商業施設で明るいわけじゃない分
その迫力はディズニーランドばり。

嘘だと思うなら、行って見て下さいな。

多摩センターは観光地でも商業街でもナイ。
そんな街があそこまでやるのは、
本当に頑張りやだと思うのです。

正直な話、
多摩センターの企業や役所の方達は
本当によく働く人たちなんです。

必要以上に「ニュータウン政策の失敗」のレッテルを貼られている町な分。

彼らは、本当に多摩センターをよりよくするために
1年中イベントを考えたり、頭を悩ましてくれています。

都市政策上の欠陥ももちろんあるけれど、
それがかえって、この街のチカラを高めているような気もします。

そこにあるのは、素敵なチカラ。


ジングルベール

2002年11月13日
もうすぐ多摩にクリスマスがやってくる。

去年、私達がお手伝いした多摩センターのイルミネーションが
今年はもっと大きなツリーを従えて帰ってきた。

今年、多摩のお手伝いにあたっているのはゼミの後輩達。

今日、仕事風景を覗きにいったら、
たて看板やアトラクションを作っていた。


ターゲットは、家族連れや中高生。


子供が喜びそうなゲームや、
家族で楽しめる音楽ってなんだろう?

そこから始まるイベント計画。

今3年生はとてもツラソウな顔してるけど、
きっと終わったらスゴク良い顔してると思う。

去年の私達もそうだったもん♪
直前なんて、もう全てがイヤになって、不安で
「いっそ当日雨降ってくれ」って思ったりもした。

でもやっておわった後の、役所のオジサン達と飲んだビール。
美味しかったー。空きっ腹にしみた。
そして
足のチカラが抜けて、しゃがみこんだ。


・・・その夜、私は終電を乗り過ごして、
岩本町から家までタクシーに乗る羽目になった。

多摩センターのクリスマスツリー点灯式は16日☆



2002年11月9日
映画は大嫌いだった。
本以外、テレビもラジオも嫌いだった。
スイッチすら触れずにいたもの。

でも、就職活動を始めた頃から、
時間がぽっかり空いたときに映画館に入るようになった。

レンタル屋で、プリペイドカードを買うようになった。

今日は「カンダハール」

雲ひとつない空から、舞い落ちる義足のパラシュートと、
一目散に向かっていく、片足を失った人々と。
フィクションというブルカも通り抜ける情景。

昔読んだ、地雷の説明を思い出した。

地雷の役目は、足だけを吹き飛ばすこと。
生きているけれど戦力にならない人間を創出すること。
こんな計算を、誰が最初に思いついたんだろう。

アフガンに強制送還させられる生徒達に先生が言った。

帰ったら、家から一歩も出ることはできません。
きっと、世界の誰かが助けにきてくれる日がきます。
もし誰かが助けてくれなかったら、自分でやるのです。

たとえ塀がどんなに高くとも、そらはもっと高いのです。


365日

2002年11月7日
忍び込んでくる冷気に追い出されるように起きる。

11月は秋だと、私の脳味噌は譲らないけれど、
もうすっかり冬なんだと、カラダはわかってる。

ちょうど1年前くらいだ。
初めて、OB訪問をした日。

ヘタクソなエントリーシートと、
着慣れないスーツを着て、
聖路加タワーの待合ソファに座ることすら出来ずに、
ドキドキしながら待ってたんだー。

聖路加の上から、建設中の汐留を見せてもらった。
赤い太陽が、ビルに反射してよく見れなかった。

ちょうど君達が入る頃から、汐留本社だね。

その言葉に、どれだけの希望を託したかなぁ。
私の就職活動は、ここから始まったのね。

帰り道、感動極まって友達に電話した。

人に会うのって面白いのね!!

あ、ここにもう一つ、新しい自分が生まれてた。

就職活動始めるまでの私は、
大学の友達と遊んで
地元の彼と会って
好きなお店でバイトして
行きたいとこへ旅行する。

そんなコだった。

就職活動では、
まず、周りのコのハングリー精神にビックリした。

私も、もう少し強くならなきゃ。

皆の個性の強さに、羨望した。

私も、オリジナルになりたい。

今までの自分の延長にある自分を、
もう少し高めたくて。

ドラえもんは居ないけど、
タイムマシンに乗って、
ちょっと先の未来が見えた気がしたんだー。

このままじゃ、ツマンナイぞ!って
自分に警告サイン。

ここから、またスタートライン。

過去を悔やむことは、私のオプションにはない
(大島さん風?)

転んだってまた、走り出すもん☆

スキ☆スキ

2002年11月6日
19人で、ボーリング。
楽しすぎて、喉が枯れた。

そのあと、撮った写真を現像に出している間に
オンナノコ二人でコスメチェックに繰り出した。

秋色のネイルを眺めて、
グロスをペタペタ重ね塗りして、
ブラシの肌触りに「コレ気持ち良い!」

カウンターでお肌のキメチェックをしてもらい、
販売のお姉さんを誉めそやし、
肌色に合うチークを見定めてもらい、
コンパクトブラシに一目ぼれして「コレ下さい!」

大満足。おっきな笑顔して、駅でバイバイ。

やっぱりオンナノコの楽しみは、
きれいになりたい願望を満たすこと。

何よりも、その道程が楽しい。

カタカタ揺れる紙袋さげて、
帰る道のりもまた楽しい。


休刊日

2002年11月5日
昨晩から続く体調不良で、
今日は一歩も外へ出なかった。

ずっと壊れていたPCが直ったので、
溜まっていたメールの整理や、
調べたかった情報の取り出しとか、
片付け物をしていた一日だった。


今は、村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでいて、
これはやっぱり、期待以上になりそうな予感。

本当に、美しい言葉を連ねる人だなぁと
読みながら、気持ち良くなってくる。

私は、確かに活字中毒者である。
食事中も、歩いているときでも、
文字を見ていないと落ち着かない。

ただ考え事をするときもあるけれど、
本を読みながら考えることのほうが多い。

ありがとう、ホン。


アラシヤマダ

2002年11月2日
京都も3日目になると、すっかり地理が頭に入る。
これくらいの規模の街が、イチバン暮らしやすいんじゃないかと、
つくづく東京の拡大と開発がムダに思えてしまう。

昨夜も私がエキストラベッド。
テレビを見ていたら、すっかり眠ってしまっていた。

朝ごはんを食べに、外へ出る。
朝一番の駅前はまだ、お店が開いていなくて
ドトールに入った。

このドトールは2年前、
夜行列車で京都に着いたときにも朝ごはんを食べた場所。
なつかしいなぁ。

さて、電車で嵐山へと向かう。
電車のゆれが心地よくて、到着まで朝寝。
降りたホームの空気がピンと冷たくて、
京都駅よりも張り詰めていた。

自転車を借りて、ペダルを漕ぐ漕ぐ。
プラリといったお寺の紅葉の美しさに、
3人ともベンチでうっとり。

お寺の境内が開け放たれていて、
開かれた扉の向こう側に、扉の空間分だけ覗く紅葉が、
限定された空間美が、
とても日本らしくて、また3人で見とれていた。

そのまま急勾配の坂を登り、大河内山荘へと向かう。
男の子でも立ち漕ぎしなくちゃ登れない坂で、
私は一人「待ってー」と叫びながら、自転車を押す。
観光客のおばちゃん達が笑って
「頑張れ頑張れ!」と声をかけてくれる。

なんだか、昔よりも、
知らない人との交流を楽しんでしまえる自分がいて、
そんな空気がとっても心地よい。

山のてっぺんのほうには、無縁仏が収められている寺があって、
まるで黄泉の国のような光景に、
しばし言葉を奪われた。

やっぱり、この地域には
昔のものを誇りとし、守ろうという強い力がある。

東京にいると、時としてそんな思いは懐古趣味といわれるけれど、
ここではそれが、ノーマル。

私は、古い古いものがとても好き。
小学生のころまで住んでいた家は、1階建ての全くの日本家屋で、
鍵なんてついていないし、
大雨の日には、かならず家のどこかで雨漏りがした。

庭には、大きな八重桜と沈丁花。
冬は、山茶花が咲いていた。

物置には、姉が小さかったころの学習雑誌が積まれていて、
私はしょっちゅう埃にまみれながら、
窓から差し込む夕焼けの光で、それを読んでた。

いつか、あの家をもう一回建てるんだ。
それが私の夢。
青山の高層マンションも魅力的だけど、
やっぱり私の帰る場所は、古い日本の家なんだ。

京都は、昔の私の家に似ている。
だからこんなにも惹かれてしまうのかもね。


進々堂のアサゴハン

2002年11月1日
前夜の議題は、誰がエキストラベッドで寝るのか。

結局カラダのちっちゃい私だった。

窓側のエキストラは、京都の夜景の特等席。
お酒の入ったカラダがだるくて、すぐ眠った。

朝は、ネボスケなゼミ生達を起こし、
バスを乗り継いで、進々堂へ朝ごはんを食べに行った。

京都大学のまん前にあるこのパン屋さんは
古いカフェが併設されていて、とても素敵だった。
大学にありそうな、大きな木の長テーブルとベンチ。
セットは、トレイに載せて持ってきてくれる。

私達は、カレーと焼きたてのパンのセット。
ハヤシライスみたいな甘いカレーが給食を思い出させて、
またちょっと幸せだった。

そしてその日到着した子と合流し、銀閣寺へ。
昨日金閣寺に感動していた友人は、
銀閣寺の庭園を見回して
「銀閣寺、どこ?」

どうやら彼は銀箔が張られたお城を想像していたみたい。

彼の素直な反応に、私達は大笑い。

「クソ、だって銀閣寺って名前じゃんか」

そのあとは四条で甘味を食べ、清水寺と平安神宮へ足を運んだ。

私は平安神宮がとても好きなんだ。

入り口は竜宮城のようにゴテゴテとしているけれど
中の庭園は、本当に平安そのもので、美しい。

あの池にかかった橋を見るたびに、
私は、当時の優美な貴族文化の豊かさを感じて
なんだかゆっくりした気持ちになれる。

橋の上から鯉にえさを撒いていると、
やりたいようにやればいいじゃない
と、自分を許してあげたくなる。

そこに流れてるのは、多分シンプルな気持ちだけ。

こんな気持ちになりたくて京都に来た。
つまりは、ここは私の帰る場所。

仕事が始まっても、旅だけは続けていこう。

京都

2002年10月30日
5時半に家を飛び出て、7時発のひかりに乗った。
平日の朝だから、周りはビジネスマンばかり。
3人がけのシートで騒ぐ私達は、相当浮いた存在。

アメリカ帰りの友人は
「金閣寺!金閣寺に行こう!」と騒いでいる。
私ともう一人の友人は一生懸命彼を止める。
「ねぇ、あれすごくグロテスクなんだから!」

「うるさい!俺はバスケットの試合のせいで
 修学旅行を半分の日程しか行ってないんだ!」

しょうがなく、京都について一番に金閣寺へ向かった。

ギラギラと秋の空にそびえる金閣寺。

「素晴らしいじゃないか…」

うっとりと眺める友人と、早くも順路を歩き出す私達。

そのあとは、竜安寺と仁和寺へ行った。

私は仁和寺を一目で気に入った。
長い廊下、広々とした砂利の庭園、美しい図柄の室内装飾。

なにかを考えるのに、これほど落ち着いた環境があるだろうか。

長い廊下を、仁和寺の法師達が昔と変わらない格好で
歩いていくのだろうか。

そんな光景を想像しただけで、
この寺に流れる美しく慎ましやかな仏教文化が匂いたつようだった。

夜は、宿の近くの居酒屋でのんびり食事をした。
食事のひとつひとつがとても美味しい。

幸せな時間。
京都の小さな穏やかな夜。

出発切符

2002年10月28日
一人でも京都いっちゃえと思って切符を買い、
翌日友人らにそのことを告げると、
みんなも行くと言って切符を買ってきてくれた。

4人でパンフレットを見ていたときは、
なかなかまとまらず、流れたハズの旅行だったのに、
あっけなく、みんなで行く話がまとまった。

ぽかん。

あ、そっか。

みんながわからなくて立ち止っているなら、
まず自分が動いちゃえばいいのか。

この気持ち、ちょうど1年前
クリスマスイベントの部長をしていた時にも感じた。

うんうんアタマを寄せ合って
「ダメだこりゃ」ってなっちゃって
それでも、自分は いける と思うなら
動いてしまえばいい。

ダメじゃないことを見せてあげれば、
「出来るかも」って思った人がどんどん集まってくれるんだね。

動かなきゃ、永遠にゼロなんだ。

息を抜く

2002年10月27日
友人達と京都に行く話が流れてしまい、
もの足りなかったので、
わたし一人ででも、出かけることにした。

紅葉はまだ始まらないけれど、
ゆっくりと歩き、庭と向かいあい、
考えたいことがある。

ここのところ続いている、自分に対する悔しさ。

すこし、溶かしにいってこようっと。

ゴーグルに、涙

2002年10月19日
ひさしぶりに、ぽっかりと時間が空き、
近所の体育館へ泳ぎに行った。

もう、久しく泳いでいなかったので、
ゴーグルとキャップが見つからず、
昔通っていたスイミングスクールの跡地に出来た
小さなフィットネスクラブへ買いに行った。

体育館は、昔と変わらない。
ロッカールームの湿度や、ピンク色のシャワーカーテンも。
私だけ、大きくなって戻ってきた。

新しいゴーグルは、慣れない匂いがした。

プールにもぐり、ゴーグルを目に落とした。
パチンと、後ろでゴムが鳴った。
息を吸い込んで、壁を蹴った。

立て続けに泳いで、肩で息をし始めた頃、
スイミングスクールの記憶がよみがえり始めた。

インターバル。
規定のタイムより遅いと、壁にタッチして顔をあげた瞬間に
頭の上にビート版が振ってきた。
ばかやろう、と何度も言われた。
遅れた本数分、私達は余分に泳がなければならなかったから、
顔を上げて、タイムボードを見るのが怖かった。

まだ肩で息をしているのに、スタートの声がかかる。
ゼイゼイ言いだしている喉に空気を押し込み、また壁を蹴る。

タッチまで、あと10メートル。5メートル。あと、ひと掻き。
わずかな時間を省く為に、息継ぎを我慢して壁だけを目指した。

どうしてこんな思いをしてまで、自分は泳ぐのだろうと、
スタート毎に悲しくなる。
そして、ゴーグルに、涙。

体育館で、ふと思い出した昔々の話。

逃げ出す代わりに、溜まった涙。
今、私の涙は、同じ色をしているだろうか。



LOVE DINER?

2002年10月15日
ううう、オナカへる。

食べても、食べても、ショーケースの中が輝いて見えて、
ついウッカリ言ってしまう。
「あ、そのお惣菜、100グラム」

ううう、ダメだと分かっているのに
「シナモンロール下さい」

食欲の秋です。
食べ物がこんなにおいしい季節があるでしょうか。

しましまは、おいしいものを食べて
ちょっくら太ったって、いいと、最近思うのです。

温かい部屋と、おいしい食事。
それは人生において、本当に豊かな時間。


しあわせ。再考。

2002年10月14日
帰り道にウッカリニヤケ顔になってたりして
自分は今幸せを噛み締めている、と嬉しくなる。

ついさっきまで、シアワセが充満している空間に居て、
あぁ仲間っていいなぁと素直に思える、帰り道。

おんなじ部屋にいるのに、みんな好き勝手してる。
ゲームしたり、ヒトリでぼんやりしたり、喋ったり、
「ホンマ、家族みたいやなぁ」とトナリの子に言われた。

ほんとだねぇ。と私も笑った。

大学生の秋が過ぎてしまう。
来年の秋、私はどんな仲間とどんな仕事をしているんだろう。


趣味の話

2002年10月13日
最近憎たらしいもの。履歴書の凡例。

趣味の欄に読書とか旅行とか書かないでよ。

本当にそれが趣味のヒトの気持になってくれい。

特に就職活動中、
よく分からないけど「インパクト大事よねっ」
なんて鼻息荒く履歴書を書き進めていくうちに、
「趣味」の欄にウッカリ読書・旅行と書き込んでしまう。
途端にその履歴書のダサさといったら…。
渡す時に、人事に言い訳したい。
「いえね、本当に本と旅が好きなんですよ、
まったく履歴書の凡例野郎と一緒にしないでほしいですよね、ナハナハ…」


あと就職活動の履歴書には、よく「特技」を書かせる欄がある。
「特技」って何だ?
ありがちなのは、「ヒトの顔と名前をすぐ覚える」
ってやつだろうか。
私が人事だったら、特技欄にこれを書いてきたら切腹を命じる。
そんなこと、得意げに言うな。
聖徳太子なんて10人の話を一度に理解できるんだぞ。
これが「10人の顔と名前を覚えられます」だったら
歴史に名を刻むことなど無かったハズだ。
あったら、困る。

万が一そんなのがまかりとおったら、
1950年 しょうゆとソースを匂いで判別できると鈴木さん
なんてのもアリになってしまう。
とにかく、特技なんて聞くほうも勇気が必要だし、
書くほうも誠意を持って答えなければいけないのだ。

そんなこというしましまの特技も
「旅行先の料理をレシピ無しで再現できます」
とかいう怪しい代物だったけど。反省。


フユジタク∞

2002年10月12日
天気がいい日に、部屋掃除をすると
とても贅沢をした気分になる。

気持の良い音楽を聞きながら、
冬服をひっぱりだす。

マフラーの暖かさに、昨年の冬の寒さを思い出した。
東京も、すっかり秋風が吹くようになって
空がぐんと高くなった。
また冬がくるんだってことが、リアルになっていく。

しんしんと冷える土、踏みながら学校に行く。

そんな冬も今年が最後。
ふぁぁ。



どうだった論議

2002年10月11日
先月、ヨーロッパをぶらぶらしてたためか、
知人に会うと「ヨーロッパどうだった?」と聞かれる。

どうでした。
こうでした。

いや、わたしも結構、
旅行帰りの知人には「どうだった?」と聞いてしまうけれど、
これは愚問なんだと気がついた。

どうもこうも…

30日間、いいこともあれば、嫌なこともある。

それを立ち話で、30秒くらいで表せるとしたら
それは現在の言語コミュニケーションの範囲を超えた、
テレパシーの力が必要。

万が一、一言でどうというなら、
その平均値としての「うん、良かったですよ」としか
いいようがない。

うん、良かったよ。

このマジカルワードを口にしたとたん、
私の一ヶ月は何だったのだと、自分に腹がたつ。
あほか、私は。
何を見てきたんだ、まったく。

だから、旅行の話は、
結構月日がたった後でする位が丁度いい気がする。
思い出が、本当に印象的だったことだけに削り落とされるから、
話すほうも聞くほうもラクだ。

まぁ、旅行の話に楽さを求める必要があるのかも疑問だが。

だから皆さん。
旅行帰りの知人に声をかけるなら、
「旅行楽しかった?」とか答えやすい質問をしてあげて下さい。
それか、椅子にでも座って、まぁゆっくりと…

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